私の人生は緑色

メロンクリームソーダみたいな愛をそえて

雪がスノードロップにかわるころ

宮舘くんにおりると決意した日がありました。

阿部くんが高3の冬です。





「担当」というものに重きをおいてオタクするのも、「担当」という言葉に縛られずにオタクするのも個人の自由。私は、「担当」を名乗って生きるのがしっくりくるので今全身に緑をまとって生きてます。




ここからは宮舘くんへのラブレターです。

なぜ本人に直接書かないかというと、阿部くんがファンレターを字体で覚えていると言っていたからです(笑)何らかの拍子に見つかって「Snow Man 宮舘涼太様」という文字でバレませんかね?もう100枚を超えるファンレターを阿部くんに送ったので心配性の阿部担は怯えています。


「休業」という文字を見ても安心に不安がつきまとった阿部くんのいない半年に、さらなる不安と安心を与えてくれた人がいました。


それが宮舘くんです。


A.B.C-Zの代々木体育館でのコンサート。いないことがわかっていても面影を探し、もしいたらこの曲のバックについてただろうなーと考えて。休業しないでとか、戻ってくることを信じてないとかそういうことじゃなく、ただ阿部くんに会いたいとずっとライブ中に不安を抱えたまま、楽しく、虚しい時間をすごしていました。


推してたけど辞めていったジャニーズJr.を何人も見てきたのに、阿部くんがいないとこんなに辛いんだ。


そんな複雑な気持ちですごしていたライブで、阿部くんの面影ばかり探していたステージで、「この人だ」と思ったのが宮舘くんでした。


『砂のグラス』の宮舘くんに確実に後光がさしてました。マジで。運命的なアレが本当に見えたんです。


泣いてました。宮舘くんがすごく良くて泣いてました。好きとかかっこいいとかそういう言葉が出る前の何かに包まれたような感情で。


ライブが終わってからもずっと宮舘くんのことを考えてました。阿部くんのことを思って辛くなる時間が減る気がして。でも阿部くんのことをずっと待てる距離にいられる気がして。阿部くんのことを「宮舘担」として待てば、帰ってこなくてもいつまでも待っていられる気がして。





阿部くんが高3の2月。

滝沢歌舞伎の出演者に阿部くんの名前があるのを見て、私の担おり計画は計画のままで終わりました。

春を待ちながら阿部くんのことを考える日々が始まりました。

宮舘担になると決意をするほどの感情を抱えたまま、阿部担として、Snow Manを応援しています。




それがなんだって話です。
「担当」という言葉を意識して、勝手に気を使って、運命を感じて。


それでも、担当になろうと思ったあの頃より確実に好きになっていく宮舘くんのことを特別に思っていたい。一緒に阿部くんを待ってくれた宮舘くんにいつか感謝を伝えたい。


宮ちゃんにいろんなお仕事がきますように。宮ちゃんの夢がたくさん叶いますように。


写真たくさん買ったし、番組に要望も出したし、雑誌のアンケートに名前も書いた。私が宮ちゃんのためにできることもっと何かやらないとなー!


宮ちゃんいつかソロコンやってくれないかなって思ってます。赤いペンライトをいつか持たせてほしいな。




阿部くんが休んだジャニワのお見送りガチャで宮舘くんがいたことも、シンガポールで正面からだてだてしく歩いてきて心臓止まったことも運命にしていいですか?





『愛してるとさよならだけは 口に出せなくて』



砂のグラスをクリエで6人で披露したときに成仏させたつもりだったけど、どうやら好きな気持ちは増える一方みたいなので墓場までこの気持ちは持っていきます。来世宮舘担になるときのために温存しておきます。




阿部くんへ、


大好きだからね!!!!!!!!!
嫌いにならないでね(>_<)!!!!!!!!!!
阿部くんのことは前のブログでめっちゃ書いたから!!!これからもよろしくお願いします!!!!!!





滝沢歌舞伎の太鼓のときに照明が反射して歯が光ってたのがかわいかったし、太鼓叩いてるところがかっこよかった。後光がさす前の小さな光です。これもほんとに何の話って話。



偶然、唯一赤色の服を着ていったあの日の代々木に私の一生分の思いを置いて。



宮舘くんへ、
来世またアイドルしてくれますか?私は来世もオタクとしてうまれて、宮舘くんに会える日を待とうと思います。


だいぶ先の話で待ちきれないので、取り急ぎまた夢で会いましょう。See you!



おしまい。